ベルバトフ・デイリーメイル紙インタビュー(3)

インタビュー(2)の続きです。
インタビュー(1)
原文はこちら


一ヶ月近くも間が空いてしまった・・・。
今回で最終回です。

「彼女もいないし・・サッカーの話をするしかないよね」(違う違う)


現在彼は独身とのこと。「恋人もいないよ」(今、女性読者の皆さんがどっと押し寄せましたよ!)
「自分の仕事に集中してるんだ。トッテナムが僕をここへ連れてきた理由は、試合に出てゴールを決めるためだからね」


1994年のW杯でブルガリア代表チームは成功を収め、そのとき時代の寵児となったフリスト・ストイチコフが現在は代表監督を務めている。ベルバトフ世代のブルガリア人選手は皆、その申し子だ。


「僕が9つの時だった。父はストイチコフに会わせてくれた」彼は回想した。「彼らは一度対戦したんだ。僕にとって大切な思い出だ。W杯アメリカ大会はブルガリアにとって驚くべきものだった。世界で4位になったんだ。皆が皆、トッププレーヤーたちの名前を知っていたよ」


「あの時だよ、僕らが皆、大きなことを成し遂げられるんだと信じるようになったのは。そして僕らの世代は、彼らの後に続こうとしている。多くの若い選手が発掘されるのを待っているんだ。世界を狙う選手たちさ」


「ここにも才能溢れる選手がいるじゃないか。ドイツと対戦した時のU-21の試合を観たよ。(テオ)ウォルコットは2つの素晴らしいゴールを決めた。若い選手たちに見切りをつけないで欲しいんだ」


映画スターのごときルックスのブルガリアンが、時々いかにもセリフまわしのような話し方をするには理由がある。


「映画を観て英語を勉強したんだ。学校で英語を習ったけど、卒業したらどんどん忘れちゃって。だけど僕は映画が大好きでね。ブルガリア語の字幕を読みながら、注意深くセリフを聞いていたのさ」


彼の英語は優秀で、汚い言葉を吐こうとも大変かわいらしく聞こえる。


「プレミアへの移籍が決まった時、シアラーと対戦するのを楽しみにしてたんだ。なのに彼は引退してしまった。すごく好きだったのになあ。くそったれ!*1彼は最高の選手だってのに」


200試合で91ゴールを決めたレバークーゼンでの6年間のうち、サブとして出場した2002年ハンプデン・パークでのチャンピオンズリーグ決勝・レアル・マドリード戦に彼は思いをはせ、再び悪態をついた。


レバークーゼンでの最初のシーズンのことで、僕はまだほんのガキだった。当時はちゃんと考えちゃいなかった。レアル・マドリードジダンのゴール・・・。僕らはリバプールマンチェスター・ユナイテッドを打ち負かし、決勝にたどり着いた。もうだいぶ後になってから僕は思ったよ。『畜生!*2もう二度とあんなことありゃしないかもな』ってね」


現在彼は新しいチームのためにゴールを決めている。マンチェスター・ユナイテッドから興味を持たれたが、トッテナムへの移籍を選んだ。マーティン・ヨル監督が彼に最初にはっきりと興味を示した事実が、彼の決定に重大な影響を及ぼした。


「ドイツで素晴らしい6年間を過ごした。だけど変化の時期だったんだ。イングランドには多くの偉大な選手がいて、世界最大のリーグがある。」


「僕は僕の仕事をしようとしている。サッカーをして、ゴールを決める。そうすれば、名声も尊敬もおのずとついてくるもの。僕は今、一途に仕事している。それがブルガリアの人々が僕を愛し、リスペクトしてくれる理由だ」


「だがここにたどり着くのは簡単なことではなかった。だからもっと良い選手になることこそが、僕の関心のすべてなんだ。僕は自分を信じている。言えるのはそれだけだよ。これから何が起こるのか、今にわかるだろう」


そう、ひとたび罰金額を知ってしまったからには、これから彼は”Congestion Charge”を払い続けることだろう。*3




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長かった・・・。通して読んで下さった方には感謝です。ありがとう&お疲れ様。
意味が逆転するような物凄い誤訳はなかったけど(たぶん)、それでも誤訳はちょくちょくやらかした。それらと細かい言い回し等、お直しとアドバイスを丁寧にしてくださった赤ペンみ・ろり先生には大感謝です。巨大なチッスを贈ります。むちゅー
そしてベルバトフ選手にも、ありがとうを。色々な顔を知ることが出来たし、冒頭いきなりボケだし・・・面白いインタビューでした。

*1:F**K man・・・ちょい不良を目指すベルボ?

*2:F**K me・・・お下品言葉もインタビュアーにとっては「大変かわいらしい」か・・・はぁ。

*3:おあとがよろしいようで